Steveへの素晴らしい贈る言葉

Steve Jobsが亡くなった日、僕はこんなツイートをした。

Michaelがいなくなったと思ったら、今度はJobsだもんな…。二人とも50代って若すぎる。

そして今日、Twitter経由でこんな記事を目にした。

クレイジーな人たちに乾杯

Steve(なんか、Jobsじゃなくてこう呼びたい)についてのコメントはいくつも読んだけど、この記事にはとても共感したし、素晴らしいと思ったので引用させてもらおうと思う(一部省略している部分があるので、原文は上記のリンクからご覧下さい)。

ジョブズの辞任に対する反応もすさまじいものだったが、彼の逝去への反応には驚くほかはない。かつての従業員、同僚、ライバル、そして有名人ら ― アメリカ合衆国大統領までもが、哀悼の意を表した。しかし、彼に対する気持ちを表した人たちの中で、最も印象的だったのは、スティーブ・ジョブズを知らない人たちだった。ただ彼の製品を使い、愛しただけの一般人たちだ。

まさにその通り。僕もその一人で「ただ彼の製品を使っただけ」だけれど、哀悼の意を表さずにはいられなかった。だって、間違いなく彼のおかげで人生が変わったし、毎日がちょっぴり楽しくなったし、未来に対してワクワクできたもの。

この種の世界的結束は、大物有名人が亡くなった時によく起こる ― 例えば、マイケル・ジャクソン ― 地球上のほぼ全員が、その人を知っているからだ。人々は常に共通の接点を探しているが、そこではそうした接点が出来やすい。なぜなら、ポップ・カルチャーが何年何十年にわたって押し進めてきたからだ。そして、彼らの成す名声は、有名人自体と密に繋がっている類のものだ。

僕も、Steveが亡くなった時にすぐに思い出したのは、Michael Jacksonの逝去だった。彼が亡くなった・・・。もうすぐツアーが始まるのに?元気そうだったのに?This Is Itは素晴らしい映画だったけど、映画を通じてMichaelの素晴らしさや、彼のコンサートにかける思いを感じれば感じるほど、”This Is It Tour”が永遠に実現しないものとなってしまったことが残念でならなかった。
2年前に感じたあの感覚を、またこうして味わうことになるなんて・・・。ここ数年のSteveを見ていて、遅かれ早かれこの日が来ることは分かっていた。少しだけ心の準備が出来ていた点が、Michaelの時とは違っていたかもしれない。

彼は癌に関して悪い手札を配られたにすぎない。そして、その病は彼の命を20年以上奪ったのである。しかし、奪ったのはジョブズからだけではない。われわれからもだ。この男に会ったこともない人々が、あそこまで気にかけるのはそのためだ。彼の早すぎる死は、悲しい物語であるだけでなく、この時代に限らず、〈あらゆる〉時代で最高のイノベーターになるべき男を奪った。もちろん、例えばマイケル・ジャクソンは偉大なアートを世界に寄与したと主張する向きもあるだろうし、実際そうだったが、彼は死ぬ前の20年近く何ひとつ意義深いことをしていなかった。スティーブ・ジョブズは亡くなった時、自分の仕事に関してその〈絶頂期〉にあった。

考えてみると、僕がMacintoshに出会ったとき、SteveはAppleにはいなかった。でも、彼がAppleに戻ってくるまでの間もずっとMacを使っていたし、たとえそれらは彼が作ったものではなかったとしても、彼の思いを感じることができる製品だったと思う。

確かにMichaelは亡くなる前の長い間、何も意味深いことはしていなかったかもしれない。でもそれは、僕らが感じることができなかっただけで、ファンの人々にとってはもちろん、それ以外の人々にとっても、彼の存在そのものが有意義だったと思う。
彼があと1年、いや半年生きていてくれたら・・・。This Is It Tourが実現していてくれたなら、きっと音楽の歴史にあらたな1ページを刻んでくれただろうに・・・と思うと、本当に悔やまれる。

今後20年間、ジョブズがいないためにどれだけのイノベーションが失われることになるかと考えると、悲しいと同時に苛立たしい。たとえAppleのファンでなくても、ジョブズが業界を転換させ、著しく向上させたことに反論できる人はいないだろう。彼は真の聖像破壊者だった。(中略)しかし、スティーブ・ジョブズは二度と出てこない。それを考えると世界の痛手だ。

Macintoshは、あまり大きなインパクトを与える製品ではなかったかもしれない。でも、iPadは携帯音楽プレイヤーを普及させたという点で画期的な製品だったし、iPhoneはスマートフォンを一般に広めた革命的な製品だったことは誰もが認めるだろう。
そして、それまで各社が製品化しても決して売れなかった、タブレットPCというジャンルを切り開いたiPad。これらはすべて、Steveがいなければこの世に出てくることはなかったはずだ。

僕は1980年代にPCに出会った。当時のCPUは8ビットで、メモリは数十KB、フロッピーもHDDもなかった。そこから20年。メモリはGBの単位になり、HDDはTBになったし、インターネットが当たり前の世界になった。
Steveは、普通ならあと10年は現役でいられたはずだ。もしかしたら20年。彼がこの世にいてくれたら、果たしてどれだけの革命的な製品がこの世に出たことか・・・。彼の死は確かに「世界の痛手」だと思う。

芸術家や天才の多くが、その時代には認められていなかった。彼らの伝説が定着したのは死んだ後だ。しかし、ジョブズは死のはるか前から認められ、正当な評価を受けていた。これもまた、今起きている感情のほとばしりに一役買っている。多くの人々は、たった今世界が天才を失ったことに〈気付かされた〉のである。

Michaelは、一時期正当な評価を受けた後、長く不遇の時代を過ごした。そして、彼が正当に評価されたのは、彼が亡くなった後だった。Steveに関して言えば、正当に評価をされていたどころか、絶頂期であったことは間違いない。彼に関する本がでれば売れるし、インタビュー記事も注目を浴びる。次はどんな製品を生み出すのか、世界中が注目をしていた。僕らにとっては、ピークの時にこの世を去ってしまったのは、悲しみ以外の何ものでもない。

これは、Apple最初の「Think Different」コマーシャルだ。そこでは、彼らが世界を変えたことをナレーターが祝福する中、20世紀を代表する変革力のある人々の画像が表れる。テレビ放映されたバージョンでは、リチャード・ドレイファスがナレーターだった。しかし、下のバージョンのナレーターはスティーブ・ジョブズだ。

1997年に録音した時、たぶん彼は気付いていなかっただろうが、あれは間違いなく、スティーブ・ジョブズが自分自身を言い表したものだ。彼は世界を変えられると思うほどクレイジーだった。そしてやってのけた。

確かにそうだ。このナレーションは、Steve Jobsのことを表している。

クレイジーな人たちに乾杯。はみ出し者。反逆者。トラブルメーカー。不適応者。
人と違う見方をする人。彼らはルールを好まない。彼らは既成概念を尊重しない。
彼らを引用することも、彼らに反対することも、賛美することも、中傷することもできる。
唯一できないのは、彼らを無視すること。なぜなら彼らは物事を変えるからだ。
彼らは人類を前進させる。
そして、彼らをクレイジーだと思う人もいるだろうが、われわれは天才だと思う。
それは、世界を変えることができる思うほどクレイジーな人は、それができる人だから。

僕には彼のように世界を変える力はないかもしれない。でも、ちょっとでも変えることができるようにがんばってみようと思う。それがSteveに対する恩返しだと思うから。

 

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